column コラム
阪神淡路大震災を思い出して地震に備える
最近、全国で大地震が懸念されています。
そこで私自身が経験した阪神淡路大震災を思い出しながら次の地震への備えの
ヒントを探していければと思います。
1995年に発生しました阪神淡路大震災から早28年が経ちました。
私自身当時は神戸市垂水区の実家暮しでしたが築年の古かった2階建て木造住宅の2階は
グルグルとかき混ぜられる様な感じで大変揺れた記憶があります。
大きな揺れがおさまってからやっと気がついたのですが室内は家具という家具はことごとく倒れて
電気もつかない状態で足の踏み場もない状態でした。
※今となっては、ガス漏れなど含めライフラインの確認は怠っていたので不注意だったなと思います。
道路にでると一部道路が隆起して水が噴き出していました。
午前6時前の大きな揺れが治まってから外が明るくなるまで家族で車の中で過ごす事にし
時折社外に出て明るくなった空を見上げると、黒い灰の様なものがいくつも空を舞っていました。
出勤の日でしたが家の片付けを手伝おうと思い、会社に電話をしましたら一人出勤してましたが
他は皆休みにしていると聞きましたので私も休んで家の片付けをする事にしました。
※この時点では、まだそこまで大事になっているとは思っていませんでした。
午前10時位に電気がつきましたので状況把握の為にテレビをつけました。
各チャンネルのニュースでは、地震の被害状況や地震による火事の様子が放送されていました。
私の住んでいた神戸の西側は比較的被害はマシな方で、三宮ではビルが倒壊したり阪神高速道路も倒壊し
バスが落ちかけていたり大変な状況であることを知りました。
その時に黒い灰の正体が分かったのですが須磨区や長田区での火事での灰が西の垂水区まで飛んで
来てたのです。
以上が地震発生から半日間の私の記憶です。
水道、ガスの復旧には1か月以上かかったので
お風呂やトイレを流すのにも苦労した記憶があります。
当時阪神間に住んでいる大方の人は地震など夢にも思ってなかったと思います。
備えも不十分であったと思います。
28年経って忘れかけている事もありますが、最低限命を守るための備えはしておくことはお勧めしたいと思います。